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医療法人せのがわ

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GⅠ安田記念は買い目の取り捨てで切った馬が1着2着3着で逆にクリビツ。。。

仲間とマツダスタジアムにいってきての週末、カープが負けて残念会で爆笑。今月は当事者発表の予定でオンラインの打ち合わせなどもあって自分の爆笑エピソードから・・・。
発病は神戸の大震災の復興の仕事をしていて。当時はバブルがはじけて自分の土木の会社の経営がこげついて金銭苦と過労と不眠など発病して不思議でもない状況やったぁ~。症状的には錯乱していてわけのわからない発言をしていた想い出が。1回目の入院は錯乱していたので鎮静剤を打って隔離室で3日間くらいは寝ていた。で、すぐに退院なんじゃけど発症していたのに服薬のたいせつさが当時はわかっていなくて再燃、2回目の入院。そして3回目の入院は自身の会社がつぶれての社会的入院(帰る家がなくて)で、そのあと病院の共同住居での生活がはじまる。
このころは陰性症状で顔に表情がなく「はい・いいえ・おはようございます」の3つの言葉だけで会話していた記憶がある。3年間くらいはこのだんまり状態やったけど、かかわってくれる病院職員さんを頭の中でランキング付けしていた笑。『この人はちょいちょいいいこと言うけどたまに手のひら返したようなことを言うのでランキングは真ん中』『この人はおおきな声出して病院職員として最低ランキング最下位』『この人はいつも笑顔で言うこともいつも同じで淡々としているランキング上位』等。そしてそのランキングトップの職員さんに声をかける「ボクは~思うんじゃけど」するとその職員さん「ようわからん」僕ちゃん「つまり1+1は2じゃろぉ~」その職員さん「いや、そうとも限らない」僕ちゃん「?、じゃったら2以外のこたえを教えてぇ~やぁ~」その職員さん「それは自分でさがすんよぉ~笑」。この職員さんの言葉の意味に興味を感じてそのごはその職員さんにつきっきりで話しをするように。そのうちに『おやじギャグ』とかも話しはじめて気がつけば自分に喜怒哀楽がもどりはじめていた。話すってたいせつ~なエピソード。
その話しとはべつに共同住居での生活でも。入居当時は六畳で2人部屋やった。なんやらどえらい病気になったのはわかっていたので『なにかをしよう』とふと思って部屋に掃除機をかけるのを日課にしはじめる。1年間続けられたら『これはできる』として、つぎのことを1年間続けはじめる等。今回の当事者発表の打ち合わせをしていて思ったのは発病したのが28歳くらいだったので自分自身に社会経験があったことでリカバリーを目指すときに自分がなにができなければいけないのか?をイメージできていたことがおおきい(僕ちゃんの場合)。多くの当事者さんらが思春期に発病して社会経験がなく働くことをイメージできない当事者さんらがほとんど。そんなことを伝えられる当事者発表にしたいなぁ~っと笑。。。

梅雨入り前の季節、古い衣服を捨てたり不要な物を断捨離したりでばたばた。。。