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医療法人せのがわ

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オリンピックの聖火リレーを観て悲しく感じています。平和の祭典オリンピックが政治に影響を受けると、参加するアスリートが一番の被害者ですね。スポーツを愛する自分は、どうかオリンピックだけは無事に成功して欲しいです。

 ゴールデンウィークの最初の日曜日でした。ボンビーな自分はお金をかけずに過ごすことを考えていました。仲の良い仲間と買い物をしながら、食事を自分らで作っていました。お互いの得意メニューを出し合ってお互いに他人の料理を食べていました。食事も外注弁当を頼むことも可能ですが、自分で食事を作ることがリハビリになります。自分も少ないレパートリーのレシピですが、仲間に伝授しながら自分も仲間から教わる今年の連休にしています。施設で良い匂いをさせて料理を作っていると自然とみんなが集まってきます。個人的なピンポイントのサポートもですが、周りのメンバーさんにヒットするサポートが出来ればピアカンをしている自分には冥利に尽きます。自分も仲間から教えられることは多いので、これからも自然にピアカンに励みます。

 さて、話は変わって、先日の山口県光市母子殺害事件に一言。身近の周りの人も興味があったようですが、自分も凄い興味のある事件でした。少なからず医療の現場に携わる自分が死刑を肯定して良いものか?と不安ですが、自分の中では正義が貫かれた判決だと感じました。自分が精神病患者として精神不安定を盾に他人を殺害するにはあまりに残忍な犯行に憤りを隠せない事件です。死刑に対する認識に賛否の議論がありますが、自分はこの犯人は死刑に値する犯罪者だと思っています。自分が『死』と言う概念に疎いこともありますが、何よりは社会的な責任の重さであると感じています。自分も昔は人を殺したい感情を持っていた時期があってそれを否定しませんが、それには自分の命も引き換えに思っていましたから。酌量の余地も無いような残忍な犯行を犯したのですから、責任は取らなくてはいけないでしょう。世の中に『正義』と言うものがあるなら、それは正当な判決ですよ。死刑になることで被害者は蘇りませんが、社会的な正義が下された判決だと自分は思っています。常に自分は自分の中で生きていて、自分の正義がこの犯人を許さない。失言かも知れませんし、病院のブログで死刑を肯定するのは不適切かも知れませんが、一個人の書き込みとしてどーしても主張がしたかった。。。

 先日のドラマで『ROOKIES』と言うのがありました。主人公の言葉が心に刺さります。“燕雀 ( えんじゃく ) いずくんぞ 鴻鵠 ( こうこく ) の志を知らんや”=(意味) 小さな人間には、大きな人間の志がわかるはずがない。誰を何に例えてどう言葉を感じるか???は自分次第だと思います・・・。。。