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医療法人せのがわ

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G1『マイルチャンピオンシップ』は混戦予想でしたが、人気決着でハズレ。。。

 

 

 自分の失敗談や辛さを笑いに代えられたらどうでしょう??

別に当事者でなくても、健常者と呼ばれる人でもそれぞれに失敗談や苦労話は

あるはずですよね。当事者さんの相談事や困っていることは「辛いんです。困

っているんです。死にたいんです。」とかネガティヴな考えが多いと思います。

でも、辛さや苦労を笑いに代えられたら、ポジティヴに変換できたら・・・ど

うでしょうか。自分自身が死にたい衝動や希死念慮などの経験があるのでわか

りますが、死にたいほどの辛さでもいつか笑って話せる時期もやがて訪れます。

北海道浦河の『べてる』風にいうと『非援助論』的な援助方法ですか。精神障

害者は自分の辛さを他人にわかってほしい裏腹に、他人に助けてほしいとか、

救ってほしい願望があると思います。その時に家族や支援者がホイホイと手を

差し伸べるのではなくて、手を放すことで当事者本人を「落とす」感覚が『べ

てる』的な発想です。自分たちが当事者発表の時によく使うキーワードに『底

つき体験』と言いますが、独りぼっちになって孤独を感じるからこそ仲間や他

人の力が必要と感じる『孤独からの解放』です。独りぼっちな世界のようで、

実は自分が他人に依存していることを知って・学びます。誰かに助けて欲しい

という願望が、すでに他人に依存している気がします。本当に1人で世の中を

生きていける人は発病しないってか、むしろそんな人は居ないのではないでし

ょうか。山の中に暮らす仙人ではありませんが、現代の仙人と呼ばれる方でも

ちゃんと世の中や社会に繋がっていてコミュニケーションが取れるので仙人の

ような生活ができていると思います。仙人をしている方は自らが孤独を選んで

いるので、社会から隔離されているという他人からの疎外感を持っていないは

ずです。しかし、精神障害者の方は自分の意志ではなくて、他人から・世の中

から疎外されていると感じられています。そう受け止めてしまうのが障害なの

で、仕方なくもあります。よく周りから聞かれる問いに「支援者が手を差し伸

べなかったから、当事者さんが『落ちた』ところから這い上がって来られない

時に、誰が責任を取るのですか??」などがあります。それって誰かが責任を

取らなくてはいけない・・・という習慣がすでにおかしな偏見や考えだと思い

ます。這い上がって来られないのも、あるいは自死を選ぶのも個人の自由で他

人は介入できないのが本来あるべき『個人の自由』のはずです。「救ってあげ

たい」・「助けなくては」という目線がすでに上から目線なので、本人の思い

ではない気がします。。。

 

 

 11月の第3木曜日は『ボジョレーヌーヴォー』の解禁日でしたね。

その年に収穫されたブドウの味を見極める祭りです。自分も2本のボジョレー

を購入しました。ボジョレーの若いワインで気分はフランス人のお祭り騒ぎで

した。。。

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